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蒸し暑い毎日が続きますね。

本日、2025年8月7日は立秋だというのに、ここ首都圏はやはり35度越えの暑さです。

今年は梅雨らしい雨がほとんどなかったことから、「梅雨寒」という言葉も聞かないまま、6月からずっと暑い日々が続いています。

ここ近年は毎年、猛暑とはいえ、ここまで雨がふらず、暑い夏も久しぶりです。

みなさまにおかれましても、どうぞお体にご注意下さい。


さて、短歌誌『ぬはり』8月号を発刊中です。

『ぬはり』は編集作業に二カ月ほどかけていますので、8月号には6月頃の歌が掲載されています。

まだ暑さも本番前だったころの、少し涼し気な歌を拝見しながら、心だけでもちょっと軽やかになりたいものですね。

まだまだ続く猛暑の2025年夏に疲弊しないよう、がんばっていきたいですね。


あっという間に梅雨が終わってしまった2025年の5月6月。

そして7月に入り、首都圏はうだるような暑さの夏を迎えています。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

先月号は通巻1100号の記念号でしたが、今回は1101号という、これも記念すべき『ぬはり』になったと思います。

会員のお手元には6月末までに届いていますので、ぜひ仲間の短歌をご覧になり、いろいろな勉強の材料として使ってみて下さい。

世間ではまだ短歌ブームが続いており、X(旧twitter)やInstagramなどでは自作の歌を掲載する方が増え続けています。

そうした中での自分の短歌との向き合い方は、みなさんにとっていかがでしょうか?

仲間と一緒に短歌を学ぶも良し、一人で自分の歌に向き合い悩みながら作るのも良し。

短歌はいろいろな楽しみ方ができる文芸だと、SNSでの発信を眺めながら思っています。

管理人自身もInstagramを用いて作品を発表することもありますが、SNSならではの楽しみ方はその場でダイレクトに反応があることです。

『ぬはり』のように冊子になって、会員の手元に届いてから、「あの歌はどうやってつくったの?」とか「ここがよくわからなくて、何を詠んだものなの?」など聞かれることもありますが、それは歌を提出してから出版するまでの二カ月という時間が経過した後のこと。

その点、SNSはその場で作品を発表し、その場で直接読み手の反応を楽しむことができます。

雑誌としての楽しみ方、SNSなどでの楽しみ方、そして歌会での楽しみ方、これもそれぞれです。

これからも短歌という文芸が長く愛されてくれればいいなぁと思ったりしています。


それでは、ここから9月末までの猛暑の季節を、体調を整えて乗り切っていきましょう!


今号、2025年6月号で短歌誌『ぬはり』は1100号を迎えました!

創設者の菊池知勇、共同創設者の和田山蘭、高鹽背山、そして『創作』から『ぬはり』の独立を快く認めてくれた若山牧水に感謝の意を表したいと思います。

昭和2年から活躍した先人たちの努力が、この1100号に込められていると思います。

1100号という記念号を迎えることができて、会員一同、感無量です。

上の写真が今回1100号を迎えた6月号の『ぬはり』、そして下の写真は古い『ぬはり』の合本です。

※合本とは1年間分の短歌誌を1冊にまとめたもの。

今号には1100号を記念して、「『ぬはり』通巻1100号記念ーこれからのぬはりのためにー」というエッセイを管理人が書かせていただきました。

98年間も続いていれば、代表が何度も代替わりし、そして歌風にもさまざまな変化があります。

そうして変化を100号記念や200号記念号を紐解いて、当時の代表が何を考え、当時の会員がどのように短歌と向き合ってきたかをまとめたものです。

そして今号の菊池知勇短歌の鑑賞コーナーでは、次の菊池知勇の短歌を掲載し鑑賞しています。


机には何もおくまじときとして吾のこころとペンをおくべく

(菊池知勇 昭和12年作)


机には何も置かずにおこう、時として、自分の心とペンを置くために。

このように言い切った歌人としてのすさまじい覚悟の一首だと思います。

そして同時に文人としての心得を説いたものでもあります。

1100号を重ねていく『ぬはり』は、戦中戦後の時勢に翻弄され、そして多くの出来事がぬはり社短歌会をゆさぶりました。

ですがその度に、創設者の菊池知勇が詠む「机には何もおくまじときとして吾のこころとペンをおくべく」というこの歌が、会員の根底を支えてきたと思います。

そして来月号の2025年7月号で、とうとう『ぬはり』は1101号となります。

また1号、1号、通巻を積み上げていく短歌誌『ぬはり』。

会員一人一人が歌人として、ぬはりを温かく包み込み、未来の歌の世界を創っていけたらと願ってやみません。

これからも、短歌誌『ぬはり』をよろしくお願いします。




まもなく5月になろうとしています。

短歌誌『ぬはり』5月号を発刊しています。

会員のお手元にはそろそろ届いていることかと思います。

今月号は3月ごろの短歌が多いのですが、同じ3月とはいっても、北海道のまだ冬の3月、首都圏の少し肌寒かった3月、そして西日本の3月と、まったく異なる3月の様子が短歌によって描かれているのはとても面白いですね。

南北に長い日本の四季の奥深さを感じることができます。


管理人は最近、東京の田端駅の近くにある根岸の子規庵に足を運んできました。

子規庵はその名の通り、松山出身で東京で過ごし亡くなった正岡子規が過ごした家です。

子規は長く病気を患い、書斎として使っていた部屋に臥せったまた物を書くことも多かったとか。

長患いはそれだけ人の心を削ぐものですが、正岡子規にいたってはどこにそれだけの気力があったのか、多くの短歌、俳句、文章を生み出していきました。

そう、正岡子規は俳句の人、俳人だと思っている人が多いのですが、歌論書なども書く文芸の研究人でもあり、そして歌人でもありました。

子規の短歌はいまでも多くの人の胸をうつものがあります。

子規の代表的な短歌に以下の二首があります。

・くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる

・瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり

豊潤な味わいのある歌には詩情があふれており、読む人の心をとらえて離しません。

こうした短歌を生み出した子規を想うとき、歌とは何であるのか?病床でも歌や俳句を生み出し続けた子規には何があったのか?と問いかける気持ちになりました。


詩情は人それぞれ、みんなの心の中にあるものだとされます。

その詩情を歌にのせるのが短歌です。

5月号の『ぬはり』のように南北に長い日本の四季を3月というカテゴリーから多くの歌を生みだしたように、子規が病床で多くの文芸を生み出したように、それぞれが持つ詩情がなんらかのかたちの言葉になるとよいなぁと考えたりしています。


さていよいよ短歌誌『ぬはり』は来月号の2025年6月号で通巻1100号を迎えます。

素晴らしいこの瞬間を会員全員で祝いたいと考えています。


首都圏は寒い日が続いていましたが、一気に25度を超える日も出てきました。

今年は桜の訪れがずいぶん遅かったですが、ようやく桜の声が聞こえるようになってきました。

短歌誌『ぬはり』4月号が出来上がりました。

会員のお手元に届くころだと思います。

今号は随筆が多く掲載されていますので、ぜひお楽しみください。

短歌人が書く随筆はまた一味違うもので、読んでいてとても面白いです。


4月といえば、日本では新しい年度が始まる時期です。

学校には新入生が、会社には新入社員が、そして各自が新しい生活を始めるのも4月です。

こうした3月末から4月の時期に花開く桜は、淡いピンクの色が可憐なものや、大ぶりの花びらが咲き誇るものなど、多くの種類があります。

もともとは山に自生している山桜を古来から人々は愛でてきましたが、桜の花の可憐さ、控えめな美しさ、そしてあっという間に散ってしまう儚さは、人生のたとえにもされてきました。

北国では桜は4月末から5月に花開きます。

日本列島が南から北まで、桜前線の名前のごとく、花で彩る春を咲かせていきます。

桜の花はやはり日本に住む人々にとって、特別なものだと感じます。

桜の花に思いを馳せながら、今年はどんな桜の短歌を詠おうかな・・・と考えたりします。

みなさんにとっての思い出の桜はどんなものですか?

桜の季節に桜の短歌を詠う喜びを、今年もかみしめながら過ごしたいと思います。



早いもので2025年も3月になりました。

暦の上では春ですが、例年にない大雪、また岩手県大船渡市の大火災などが続き、酷い被害に胸が痛みます。

岩手県大船渡市には、ぬはり社短歌会の支社があり、多くの会員がいます。

いまのところ、会員の家屋に被害が出たという話は聞こえてきませんが、避難している会員や家族もいるため、油断を許さない状況です。

2011年の東日本大震災に続き、2025年は大船渡大火災と、災難の続く大船渡です。

これからもできる限り支援していきたいと思います。


『ぬはり』3月号が発刊しています。

通巻で1097号となります。

あと3号で1100号を迎えます。

昭和2年から続くぬはり社短歌会には多くの歴史がつまっていますが、こうして節目となる通巻号を迎える度に、短歌という文芸に向き合ってきたぬはり人の先人たちの面影を見つめ直しています。

今回の巻頭の短歌は、創刊者である菊池知勇の次の歌です。

ぬばたまの 夜の山より 生(あ)れいでて
月ただ赤し 葛の葉の上に

大正七年に詠われた短歌ですが、現在ではあまり使われることのない枕詞が使われています。

夜の枕詞である〈ぬばたまの〉という言葉が、歌の格調の高さを表しており、また山の中の月夜の静けさが〈月ただ赤し〉という結句で結ばれ、そのリアルな言葉選びは作者の息遣いが聴こえてくるようです。

安定したどっしりとした言葉遣いで表現されており、その安定感が、夜の山から生まれる月、その月の赤さ、という独自の世界観を支えており、読者を引き込む歌の作りとなっています。

こうした歌がぬはり歌と言われるものですが、それを令和の2025年に生きる私たちは、現代の歌として甦らせることができるはずです。

現代、現在らしい短歌、いつ読んでも新鮮味のある歌というものは詠むのが難しいものですが、それを目指していきたいと思います。




短歌誌『ぬはり』の2月号が発されました。

1月号から新しい選者になった集(クラス)があり、新鮮な雰囲気になった『ぬはり』です。

今年で創設97周年となる『ぬはり』では、こうした選者の交代、鑑賞者の交代などが、折々に行われてきました。

昭和2年、近代短歌の時代にスタートした『ぬはり』では、その時代、その時代に応じた短歌とはどのようなものか?ということを、検討し、そのときの「現代」に寄り添ってきたと思います。

それと同時に、古典の「和歌」から続く、「歌」というものを大切にしてきた側面もあります。

現在では『ぬはり』も口語で詠う人が多くなり、文語の人はずいぶん減りました。

また旧仮名で詠む人も減り、現在では新仮名で詠むことが多くなっています。

短歌は生きている文芸です。

古典の時代とは異なり、歌は自分自身の心やそのときの出来事、また生活の様子などを詠むものへと変化していきました。

現在を生きている私たちにとって短歌は、短詩形文学の一つとして楽しむものであり、私たちに寄り添っている文芸の一つです。

小説やエッセイのように長く書く必要はなく、ちょっとしたときのちょっとしたことを、すらっと三十一音にすることができます。

俳句や短歌の手軽さ、身軽さは、メモ帳だけあればどんなときでも歌を詠めます。

そうした文芸は、どんな人にも可能だということがとても大切だと思います。

現在、短歌ブームだと言われていますが、XやInstagramなどのSNSに、短歌の音数の発信力がちょうどぴったりマッチしたとも考えられます。

管理人もXやInstagramで短歌を発信することがありますが、いろいろな人がこうした気軽な発信アプリで短歌を詠んでいることが嬉しくなります。

そうして一人で短歌を詠んで楽しむこと、そうして短歌会などに属して短歌を楽しむことは、違うようでいて両者はお互いに保管しあう関係でもあります。

ぬはり社短歌会のような古くからある短歌結社は、短歌を学ぶためのシステムが整っているところです。

もし、一人で自分自身で短歌を詠んでいて行き詰ったり、なんだか単調だなぁと思ったりしたら、どうかぬはり社短歌会の門をたたいてみてくださいね。

新しい歌の世界がひろがっているかもしれませんよ。

では今月も短歌の世界を楽しんでいきましょう。




短歌誌「ぬはり」1月号が発刊しています。

1月号では2024年を振り返りを行っています。

短歌を学んでいると、こうした新年を迎えることや季節の行事などを意識して歌に盛り込むものですが、そうした点でも短歌というのは日本の文化そのものなのだと感じます。

今年はぬはり社短歌会が創設されて98周年となります。

来年には99周年を迎え、「白寿記念大会」を開催する予定です。

ここから2年間のぬはり社短歌会には、いろいろな動きがあるかと思います。

百年という記念すべき年に向かって、一歩ずつ歩みを深めていきます。

どうぞよろしくお願いします。

まもなく12月になろうとする首都圏です。

ですが昨日は最高気温が20度、本日も17度もあって、まもなく師走とは思えない穏やかな温かさです。

朝晩は少し寒くなりましたが、それでもこれが晩秋かと思うような天候が続いています。


『ぬはり』12月号が発刊しています。

今月は10月頃の歌が多く掲載されました。

私は個人的には、私を短歌の道に導いてくれた母が9月に亡くなり、その追悼歌を寄稿させてもらいました。

人間として尊敬し、短歌も穏やかで温かみのある言葉遣いで、誰にでも笑顔で接する母は私の理想の人でもありました。

こうして家族が亡くなったときに歌を詠む人は多いと思いますが、歌詠みとしてはやはり一瞬冷静になり、その人と自分との関係を見つめ直して、ペンをとることになるかと思います。

友人、知人、家族、人を亡くしたときの悲しみが、こうして短歌という芸術へと昇華されていくと、なんだか歌というものが亡くなった人の墓碑のように感じられて、感慨深いものがあります。

『ぬはり』12月号、手に取る機会がありましたら、どうぞ読んでみて下さい。


あと一カ月で2024年も終わろうとしています。

『ぬはり』は今年も会員の日常を映す鏡のような役割をしてきたと思います。

残り一カ月、思い残すことがないように過ごせるとよいですね。

平和な年末でありますように・・・・・・

まもなく11月を迎える首都圏です。

・・・ですが、日中は26度ほどあり、なんだか秋になったような気がまだしません。

まもなく訪れる11月には、しっかり秋の気配があるのでしょうか?

歌詠みとしては、きちんと季節を感じられるほうが歌を詠みやすいなぁと思ったりしています。


「ぬはり」11月号を発刊しています。

今回は夏真っ盛りのころに原稿を出された方が多いので、真夏の歌がたくさん載っています。

どれほど暑い夏だったのか、みなさまの歌を鑑賞することで思い出したりするものです。

中でも共感したのがこの歌です。


布バッグに夏を詰め込み溢れ出るカサに扇子にタオルに帽子 

(S・E)


ああ、まさにこれをバッグに詰め込んで歩いた夏だったなぁと、とても共感した歌でした。

こうした夏グッズが短歌になるのは面白いですよね。

溢れるほど持って歩いた夏に必要なグッズたち。

持って歩いていたときは、「重たいなぁ」と思っていたものですが、いま考えるとこうした夏グッズたちがちょっと愛おしくなります。

私たちを暑さから守ってくれていた大事なものだったからでしょうね。

歌には詩情が大切、抒情が大事とよくいいますが、ちょっとした日常の他人が共感できる歌も素敵だと思います。


まもなく晩秋ですね。

今年の秋の深まりは遅いようです。

皆様もお体にお気をつけになってお過ごしください。

夏の疲れがでませんように・・・

短歌誌「ぬはり」10月号が発刊されました。

今回の2024年10月号で通巻1092号です。

まもなく通巻1100号を迎えますね。

こうして長く続けていられるのは、会員のみなさんの短歌への情熱に支えられているからです。

これからも細く長く、1100号を過ぎても続いていく「ぬはり」をよろしくお願い致します。


10月号では代表の大石が巻頭エッセイ「一里塚」にて、亡き人を偲ぶ習慣(お盆の迎え火、送り火)のことなどを書いています。

こうして昔から続く日本人にとって「いいなぁ」と思うような習慣は、ずっと続いてほしいと思うものですが、どのように変化していくのだろうと大石もこれからの展望は未知数だと書いています。

昔からの習慣はどれも「労をおしまず、手間をかけて」行われてきたものですね。

老いも若きも、こうした「いいなぁ」と思う習慣を地道に残せていけるように、一つずつ大事にしていきたいですね。

短歌もそうした世界の一つの文芸なのかなと考えることがあります。

労して手間をかけて詠じる文芸・短歌。

短歌は残っていけるのかどうか、みなさんはどう思いますか?


首都圏は9月中旬を過ぎても、30度越えの毎日です。

どうぞみなさんも猛暑の続いたこの夏の疲れがでませんように、お体を大切にして下さい。

会員のみなさん、ご自愛の上ご健詠ください。


2024年9月5日から10月13日(日)まで、岡山県立博物館にてテーマ展「岡山の至宝ー正宗文庫の輝きー」が開催されています。

岡山出身の国文学者で歌人の正宗敦夫(明治14~昭和33年)が遺した「正宗文庫」は、敦夫が集めた古典籍や文書、短冊類、明治の雑誌など、貴重な書物類が保存されている素晴らしいものです。

昨年に続いて、「正宗文庫」の至宝を紹介するテーマ展が行われており、それを記念した講座なども開かれます。

短歌を趣味としている人や、万葉集がお好きな方なら、一度はこの正宗敦夫の業績に触れたことがあるかと思います。

正宗白鳥の弟としても知られる正宗敦夫の知の業績である「正宗文庫」の概要を、学べる機会です。

お近くの方はぜひいらしてみて下さい。

違う側面から和歌や短歌というものを学ぶことができると思います。

詳しくは下のリンクからどうぞ。