『ぬはり』5月号発刊中☆余談ですが子規庵訪問の感想なども☆
まもなく5月になろうとしています。
短歌誌『ぬはり』5月号を発刊しています。
会員のお手元にはそろそろ届いていることかと思います。
今月号は3月ごろの短歌が多いのですが、同じ3月とはいっても、北海道のまだ冬の3月、首都圏の少し肌寒かった3月、そして西日本の3月と、まったく異なる3月の様子が短歌によって描かれているのはとても面白いですね。
南北に長い日本の四季の奥深さを感じることができます。
管理人は最近、東京の田端駅の近くにある根岸の子規庵に足を運んできました。
子規庵はその名の通り、松山出身で東京で過ごし亡くなった正岡子規が過ごした家です。
子規は長く病気を患い、書斎として使っていた部屋に臥せったまた物を書くことも多かったとか。
長患いはそれだけ人の心を削ぐものですが、正岡子規にいたってはどこにそれだけの気力があったのか、多くの短歌、俳句、文章を生み出していきました。
そう、正岡子規は俳句の人、俳人だと思っている人が多いのですが、歌論書なども書く文芸の研究人でもあり、そして歌人でもありました。
子規の短歌はいまでも多くの人の胸をうつものがあります。
子規の代表的な短歌に以下の二首があります。
・くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
・瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり
豊潤な味わいのある歌には詩情があふれており、読む人の心をとらえて離しません。
こうした短歌を生み出した子規を想うとき、歌とは何であるのか?病床でも歌や俳句を生み出し続けた子規には何があったのか?と問いかける気持ちになりました。
詩情は人それぞれ、みんなの心の中にあるものだとされます。
その詩情を歌にのせるのが短歌です。
5月号の『ぬはり』のように南北に長い日本の四季を3月というカテゴリーから多くの歌を生みだしたように、子規が病床で多くの文芸を生み出したように、それぞれが持つ詩情がなんらかのかたちの言葉になるとよいなぁと考えたりしています。
さていよいよ短歌誌『ぬはり』は来月号の2025年6月号で通巻1100号を迎えます。
素晴らしいこの瞬間を会員全員で祝いたいと考えています。
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